
新人の頃、よく指導者との面談でこんなふうに言われていました。
「あなたがこの病院を辞めて他で働いても困らないように、今厳しく言ってる」
「その実施の反省点、ちょっとズレてるよ」
「何を学んだのか分からない」
当時の私は知識も技術も浅く、正直、指導を受けても「分かったつもり」になっていることばかりでした。
例えば、心電図をとったときの話。「なかなかうまく取れない人がいるから、保湿をしっかりする」なんて的はずれな反省をしてた。今思えば、波形の異常に気づく視点や、それをどう判断するかという本質的なところには全然たどりついていなかったんです。
今の私なら、こう考えます。
この波形は異常じゃないか?
患者さんに心疾患の既往がないか?
胸の症状は?呼吸状態は?
バイタルサインはどう?
この検査結果、至急ドクターに報告するべき?
そういった「気づきの視点」を持てるようになった今だからこそ、当時の自分に伝えたい。
「それ、おかしいことに気づこう」って。
「どこに違和感を持てたか、一緒に考えてみよう」って。
「何を学んだの?」という問いは、時に重たく感じるものです。知識があいまいなままだからこそ、当時の私には「この波形はおかしいことに気づこう」と、まず“気づく力”を育てるような指導をしてほしかったなと思うのです。
「何を学んだかわからない」と括ってしまうより、「どこに違和感を持てたか」「どんな視点で見られたか」を一緒に考えてほしかった。
指導する側も、される側も、今“何が分かっていないのか”を一緒に話すことが大切だと、今なら思います。
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